2.運動発足までの背景と経緯

 
1964年(昭和39年)当時、わが国は高度経済成長の真っ只中にあった。国民総生産(GNP)は年率10%以上の成長を続けており、東海道新幹線が開通し、第18回オリ’ンピックが東京で華やかに開催された。その一方で、高度経済成長に伴う労働災害の増加が目立ち、1961年(昭和36年)には休業8日以上の死傷者数が481,686人、死亡者数は6,712人とピークに達し、危機感が募っていた。このため、安全衛生に直接費任を持つ事業主の自主的な労働災害防止活動の重要性が叫ばれていた。こうした流れを受けて、「労働災害防止団体等に関する法禅」が制定され、同法に基づき、1964年(昭和39年)8月1日に中災防が事業主の団体として発足した。
 
 このような時代背景の中で、1971年(昭和46年)9月に開かれた財界トップとの労働安全衛生懇話会は、労働安全衛生法(以下「安衛法」という。)制定についての審議が中心であったが、その際、「安全衛生管理組織の確立は、企業内の生産組織が一体となって、全員参加の活動を展開すること」また「安全衛生教育の徹底は、作業者自身の安全衛生自主活動により促進すること」が議論され、その後の安全衛生活動のあり方に大きな示唆を与えた。
 
 その後、1972年(昭和47年)の安衛法制定を経て、労働災普防止活動が急速に活発化する中にあって、中災防としても、独自の迫力ある安全運動キャンペーンを企画することとなり、上記の懇話会での趣旨を生かして1973年(昭和48年)の年頭スローガンとして「ゼロ災害へ全員参加」を選定し、これを実体的な運動に高めるため、中堅幹部によるプロジェクト・チームを結成し、具体化のための検討に着手した。